イスタンブール ISTANBUL

イスタンブール / ISTANBUL
イスタンブール アンカラへ
飛行機: 1時間
バス: 6時間
アンカラエクスプレス: 9時間
カッパドキアへ
飛行機: 1時間10分
バス: 12時間

イスタンブール

紀元前658年、ビザス王に率いられ新天地を求めて旅を続けてきたドーリア人たちがヨーロッパ東の果て、ボスポラス海峡に面した波穏やかな入り江に定住した。
ボスポラス海峡は、北の黒海と南のマルマラ海をつなぎ、さらにダータネルス海峡を経てエーゲ海、地中海へと続く海上交通の所要である。
ローマの衰退を案じたコンスタンティン大帝は国家の再建を目指して新しい都としてビザンチウムに白羽の矢を立てた。
330年5月11日、街の名はネオローマ、新ローマと変えられた。
しかし市民達は、コンスタンティンの街、コンスタンティノープルと呼んでいた。
キリスト教を精神的柱としたビザンティン文化は1,000年以上もコンスタンティノープルを中心に栄えた。
1451年コンスタンティノープルを陥落させるという野望を持ったオスマントルコのメフメット2世がスルタンの位置につく。
1453年5月29日若干20歳のメフメット2世によって、ついにコンスタンティノープルは陥落。新しい国オスマントルコ帝国誕生となる。
しかし、オスマントルコ帝国も衰退の一途を辿り、第1次世界大戦には同盟国側に参戦し敗退、最後のスルタン・アブドゥルメジドは国外追放となる。
そして、 1923年にはトルコ共和国が誕生。首都はアンカラへと移された。
都としての長い歴史は終えたものの、数々の建造物は今もイスタンブールの町に溶け合いそのドラマに満ちた歴史を語ってくれる。

旧市街

ブルーモスクスルタンアフメットジャーミィ・ブルーモスク スルタンアフメットジャーミィ(ブルーモスク)
イスタンブールを訪れた人は必ずブルーモスクに立ち寄る。そしてその美しさに驚異と畏怖さえ感じてしまう。
大小のドーム、半ドーム型屋根が滝を流れ落ちる水のごとく美しい流線を描き、6本の尖塔が空に浮かび上がる。
アフメット1世の命により、1609年に着工したブルーモスクは1181ターレルの金貨を費やして1616年に完成した。

ヒッポドローム
ヒッポドローム
ヒッポドローム
ブルーモスクの西側にかつての馬車競技場跡がある。203年にセプティミウス・セヴェルス帝が建設した。しかしこの広場はいつも楽しみの場というわけではなかった。
532年1月皇帝ユスティニアンに対する反乱、ニカの反乱で約4万人の市民が虐殺された。1826年のオスマントルコ時代にもマフムト2世に反逆した近衛軍団イェニチェリ3万人が処刑された。
ヒッポドロームは豪華に飾り立てられていたが、十字軍が殆どを持ち去った。今日では古代エジプトから送られた記念碑が残るのみである。

アヤ・ソフィア
アヤソフィア博物館
モザイク画
アヤソフィアのモザイク画
アヤ・ソフア博物館
ギリシャ正教の総本山として建設された教会であったが、13世紀初め、突然に襲ってきたキリスト教徒の侵入者、十字軍に征服されてしまう。
十字軍はたった3日でアヤ・ソフィアにあった貴重なイコンや聖品、金銀宝石の全てを剥ぎ取り、無残な姿としてしまった。
1453年5月29日コンスタンティノープルを陥落したメフメット2世はアヤソフィアをも手に入れる。キリスト教会の歴史は終わり、イスラム寺院へと変わった瞬間である。
モザイク画は漆喰で塗り固められてしまった。だが、メフメット2世は、教会の良いところは残しておこうと試みたため、世界でも大変珍しいキリスト教とイスラム教が混在する建造物となってしまった。

トプカプ宮殿
トプカプ宮殿
宝物館: スプーンダイヤ
宝物館・スプーンダイヤ
ハレム: 皇帝のホール
ハレム・皇帝のホール
トプカプ宮殿
トプカプとは大砲を抱えた門を意味する。
1462年に建設が始まり、1478年完成。
そして1855年にアブドゥルメジドがドルマバフチェ宮殿に移るまでの長い間ここが帝国の絶対権力者スルタンの居城だった。

宝物館
トプカプ宮殿をじっくり見学するのは1日がかりであるが、最大のみどころは歴代のスルタンたちの財宝を展示するこの宝物館とされている。
事実、無造作に並べられた金銀宝石の豪華な品々は質量と共に圧倒的で見るものを魅了してしまう。

ハレム
ハレムという言葉はアラビア語のハリム=禁じられたと、ハラム=聖域に由来する。
スルタンと、母や娘、妻たちやたくさんの愛妾などが暮す閉鎖された女の園を外界から守り、スルタンの私生活に密着して仕える者は、エジプト長官が首都に送り込むアビシニアの黒人が多かった。
現在はごく一部だけ公開されているが、中でも特に美しいのはまず、お世継ぎの間。
王位継承に与えられた華麗なスイートルームでバラ、チューリップなど植物模様の美しいタイルは17世紀のもの。
2つの部屋の1つは愛妾たちの庭に、もう1つはプールに面している。
ハレムで一番大きい皇帝のホールはスレイマン大帝の時代、シナンが設計した。
しかし18世紀に大幅に改装し、秘密のドアを隠す鏡、大理石の円柱などを付け加えている。
他の部屋と違い、窓も多くて明るいこの広間で、スルタンは女性達を集めて音楽や踊りなどを楽しんだのだった。

地下宮殿
地下宮殿
地下宮殿
4世紀から6世紀頃に造られたものだといわれている。
ビザンツからオスマン朝時代にかけ、ここはまさに地下の大貯水池であった。水はアタテュルク通りにかかるヴァレンス水道橋からここへ引かれ、トプカプ宮殿のスルタンたちの喉を潤したという。
当時、柱は合計336本あったが、南西の壁が19世紀末に塗りつぶされたときに90本の柱が紛失している。
今でも地面には水が溜まっている。フランスの考古学者が存在を発見するまで誰も地下の貯水池は知らなかった。
宮殿の奥にはメドゥーサの顔が2つある。1984年の大改修で初めて発見されたものだ。

グランドバザール
グランドバザールの一角
グランドバザール
空から見ると半球形のドームが連なるいわゆる屋根つきバザールは1つの都市といってもいいほどの規模を誇っている。
大小の通りが迷路のように交差して広場を造り、居並ぶ商店は数知れず、5つのモスクをはじめ、銀行、郵便局、レストラン・・・とその20万平方メートルの敷地は厚い壁に囲まれ、出入の門は18にも及ぶ。
ここはビザンチン時代から、商人が集まる広場だった。1461年にメフメット2世が木造の屋根付き市場を建てたがたびたび火災にあい、のちに石造りとなっている。

スレイマニエモスク
スレイマニエモスク
スレイマニエモスク
西洋では壮麗王と呼ばれ、トルコでは立法者と崇められたスレイマン大帝のモスクは1550年から57年にかけて、シナンが建設した。
4本の尖塔はスレイマンがイスタンブールを都として統治する4番目のスルタンであることを、ミナレットの合計10のバルコニーは帝国の第10代スルタンであることを象徴しているという。
モスクの内部は過激な装飾を抑え厳粛な雰囲気が漂う。

ガラタ橋ガラタ橋 ガラタ橋
イスタンブールのときめくハートに触れたかったらガラタ橋を歩いてみよう。大道商人の呼び声、釣り糸を垂れる男達。魚サンドの屋台の煙が連絡船の黒煙に負けじと頑張っている。
かもめが飛び交い、階下のレストランから陽気な声が響く・・・。
旧市街と新市街を隔てる金角湾にかかるこの橋はいつも雑多な活気に満ちている。
金角湾に初めて橋がかかったのは1835年、アブドゥルメジドの母后ベズミ・アレムの命に因るものだった。1877年に現在の鉄橋に架け替えられた。

ルメリ・ヒサル
ルメリ・ヒサル
ルメリ・ヒサル
ボスポラス海峡の最峡部を見下ろし、緑の丘に広がる壮大な砦がルメリ・ヒサル=ヨーロッパ側の砦と呼ばれる。対岸にはアナドル・ヒサル=アジア側の砦が小さく見える。
1452年、若きスルタンは自ら設計図を描き、3千人を動員して3ヶ月という短期間でこの砦を完成させたという。
そして対岸のアナドル・ヒサルと呼応して首都を目指すヨーロッパからの支援の船を次々と撃沈、コンスタンティノープルを陥落させた。


新市街

ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿
1843年から10年以上の歳月をかけて造られた、大理石を用いたヨーロッパのバロック様式とオスマン様式を折衷させた壮麗な建築物で、ボスポラス海峡に向かって張り出した埋立地に建っている。
調度品の殆どはヨーロッパからの献上品で、室内は大変豪華な造りだ。部屋数は285部屋、広間は43室あるが、それぞれ趣の異なった内装となっている。螺旋階段にはバカラのクリスタルガラス、最上級のヘレケ産の絨毯、当時大変珍しかった畳、寄木細工の床など贅を尽くした建造物と装飾品には驚くばかりだ。
なかでも圧巻なのが見学の最後に訪れる吹き抜けの大ホール。
天井からは、イギリスのビクトリア女王からの献上品である重さ5トンのバカラ製のシャンデリアが吊るされている。
シャンデリアの清掃には、5人がかりで1週間かかるという。
宮殿は、共和国初代大統領、アタテュルクも官邸として利用していた。1938年11月10日、執務中にここで亡くなった。故人を偲んで宮殿内の時計は9:05分を指したままとなっている。

カーリエ博物館
カーリエ博物館のモザイク画
カーリエ博物館
5世紀の初めにコーラ修道院として建てられたが、オスマン朝時代には寺院に変えられた。13〜14世紀に描かれたモザイク画は漆喰で塗りつぶされていたが、修復後の現在は再び美しいモザイク画が蘇っている。ビザンツ芸術の中でも評価の高い作品、アダムとイヴを救済しようとするキリストの姿は素晴らしい。
ベイレルベイ宮殿
ベイレルベイ宮殿
ベイレルベイ宮殿
ボスポラス大橋の袂にあるスルタンの夏の離宮。ドルマバフチェ宮殿と同様のバロック様式とオスマン朝様式を折衷させた建造物。
広間にある時計もアタテュルクが亡くなった9:05分を指している。

軍事博物館
軍楽隊
軍事博物館での軍楽隊コンサート
軍事博物館
世界有数の規模を誇る軍事博物館で、約5万点の収蔵品がある。
また、毎日15:00から16:00の間の2回、陸軍管轄の軍楽隊の迫力あるコンサートが行われている。
世界で初めて軍楽隊を取り入れたのがオスマンといわれており、士気が上がる姿に驚いた各国は直ちに軍楽隊の制度を取り入れた。
軍楽隊の奏でる曲は、後の偉大な作曲家、モーツアルト、ベートーベン、バッハなどに多大なる影響を与えたことも有名である。

チャムルジャの丘 チャムルジャの丘
ボスポラス大橋に近い大パノラマの絶景が楽しめる丘。イスタンブールでもっとも標高が高い。頂上は、カフェレストランや喫茶店のある公園となっており、市民の憩いの場として人気がある。
チャムルジャは結婚式を挙げるカップルも多いことで知られている。

空港から市内へ

メトロ(地下鉄)を使う
国際線ターミナルの出口に乗り換え口がある。
空港駅から終点のアクサライまでは約45分。スルタンアフメットへいく場合はトラム(路面電車)に要乗り換え
ゼイティンブルヌ(Zeytin Burnu)駅下車、エミノニュ行きトラムに乗り換える。

シャトルバスを使う
ハワシュ(Havas)というシャトルバスを利用。到着ロビー出口から発着。
スルタンアフメットへいく場合は、アクサライで乗り換える。

アクサライからトラム(路面電車)を使う
ハワシュ降り場から進行方向へ直進。高架下の交差点にトラム駅がある。スルタンアフメット行きは、線路を渡る。途中、トラムの切符売り場があるので購入を忘れずに。

タクシーを使う
空港出口で黄色の車が待ち構えている。スルタンアフメットまで約45分かかる。
料金は約20YTL
客引きをする運転手から少し離れ、客引きなど無縁というような運転手が扱うタクシーのほうが良い。

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